未だに反省しない、あきれた体質のチッソ

 現在務めている会社は4社目。それぞれの会社に個性というか社風というものがある。この社風は社員のものの考え方や慣例、システムという形で企業活動の中に入り込んでいるのでそう簡単に変わるものではないと感じている。
 要するにいい加減な体質を持った会社は、いつまで経ってもいい加減さから脱することは難しいと思う。そういう例が今回の話である。

 3月30日付け朝日新聞の社会面に『チッソ、加害より損害強調 中国向け会社紹介文 患者団体は批判』の記事。
 内容は、2005年頃、中国語で「水俣病を引き起こした企業の体験と反省」という文書を作成し、当時の社長が訪中した際に文書の内容を中国政府関係者に紹介した。また、中国の精華大学の公共政策の専門家らが昨年11月に同社水俣本部を訪れた際にも読み上げて配布されたという。

 文書は、「水俣病を起こした負のイメージは経営上の重大な足かせになった。反体制運動の攻撃目標となり、従業員が暴力に遭い、妨害を受け、経済損失以外でも重大な打撃を被った」と総括している。要するに自分達は、被害者だと言いたいらしい

 しかし、チッソが過去にどんなでたらめなことをしてきたのか。この会社と政府と御用学者達のいい加減さのために水俣病患者の数は激増したのである。いい加減という言葉では表現できないほどメチャクチャなことをしてきたのが、チッソなのである。チッソは、戦後の重化学工業をけん引した会社であり、その当時は東大のトップクラスしか採用しなかったらしい。その東大卒たちのでたらめさ。これは日本の悪の構図かもしれない。

 水俣病発生時の経緯を簡単に以下にまとめる。尚、会社名は当時、新日本窒素肥料株式会社であったが、チッソで統一する。

 1953年(昭和28年)12月:水俣病公式第1号患者発病(56年に公式確認)
 1956年(昭和31年) 5月:細川チッソ付属病院長が奇病発生を水俣保健所に報告(公式確認)
                5月:水俣市奇病対策委員会設置
                8月:熊本大学に原因究明を依頼。熊大医学部「熊大研究班」を設置
               11月:熊大研究班、中間報告会で「原因は水俣湾産魚介類の摂取によるもの」と報告
 1957年(昭和32年) 1月:水俣市漁協、チッソに対し、汚悪水の海面放流中止、浄化装置の設置と無害証明を申し入れ
                2月:熊大研究班、水俣湾内の漁獲禁止が必要と報告
                4月:水俣保健所長のネコ実験で水俣湾産魚介類投与開始後10日目に1例発病
                8月:熊本県、厚生省に水俣湾産魚介類販売の禁止措置について、食品衛生法適用の是非について照会
                9月:厚生省、熊本県に水俣湾内産の全てが有毒化している明らかな証拠が認められないので、適用できない、と回答
               11月:厚生省厚生科学研究班「セレン、マンガン、タリウム説」を発表
 1958年(昭和33年) 9月:チッソ、アセトアルデヒド工場の排水経路を水俣湾内の百間港から八幡プールを経て、水俣川河口付近へ変更
 1959年(昭和34年) 3月:水俣川河口付近又はそれより北側の地域に患者の発生が相次ぐ
                7月:細川チッソ付属病院長が塩化ビニル、アセトアルデヒド排水を直接投与するネコ実験を開始
                7月:熊大研究班、魚介類を汚染している毒物として有機水銀を公式発表
                8月:チッソ、有機水銀説に対して、実証性のない推論と反論
                9月:日本化学工業協会大島竹治理事、有機水銀説を否定し、「爆薬説」を発表
               10月:チッソ附属病院のネコ実験でネコ400号が発症チッソは公表せず、実験の続行を中止
               10月:通産省、チッソに対し、水俣川河口への排水経路の即時廃止及び排水浄化装置の年内完成を指示
               11月:水産庁、工場排水の排出停止と工場排水採取のための立入調査を要請するが、チッソは拒否
               12月:チッソ、水銀除去能力のない排水浄化装置(サイクレーター)完成
 1960年(昭和35年) 4月:東工大清浦雷作教授、「アミン中毒説」を発表
 1962年(昭和37年) 8月:熊大入鹿山教授、酢酸工場の水銀滓と水俣湾のアサリから塩化メチル水銀を抽出したと論文発表
 1968年(昭和43年) 9月:厚生省、水俣病の原因は、チッソ水俣工場排水中の有機水銀であることを政府統一見解として発表

 さて、チッソのどこがでたらめか。チッソは、中国向け文書で水俣病の体験から得た教訓として、以下の4点を挙げている。
 @いかなる時代であれ、科学を過信してはいけない
 A既に起こった結果の前にはいかなる言い訳も通用しない
 B負担する賠償責任は裁判の判決をはるかに超える
 C公害は絶対に発生させてはいけない

 @でチッソは如何にも科学を信じて行動したかのような教訓を挙げているが、本当にそうであろうか。
 上の年表でも分かるように、昭和34年10月に附属病院において自社排水でネコ400号が水俣病を発症したにもかかわらず、それを公表せず、実験を中止させたのは何故か。科学的な真実よりも自社を守るために、事実を隠ぺいしようとしたのは明らかではないか。隠ぺいだけでなく、翌11月に衆議院調査団に配布した「水俣病原因物質としての『有機水銀』に対する見解」という文書の中で「工場排水....を直接動物(ネコ)に投与したのでは、水俣病を発症せしめ得ないことは、.....排水に毒物そのものの存在しないことを示している」と記していたという。全く事実と異なることを平気で公表する。これがチッソの言う科学か。
 昭和33年9月に排水経路を水俣湾河口へ変更したのは何故か?自社の排水が怪しいと自分達で分かっていたから変更したのではないか。これによって水俣病患者の数は激増したのではないか。

 チッソはさらに卑劣なことをやっている。通産省の指示で昭和34年に排水浄化装置サイクレーターを設置した。昭和34年12月24日のサイクレーターの完工式で吉岡喜一チッソ社長は、サイクレーターによる「処理水」と称する水を飲んで見せたのである。サイクレーターは、単なる凝集沈殿処理装置でしかないので水銀を処理する能力など全く無いのである。要するに世間を騙すためのやらせである。さらにチッソは「処理前」と「処理後」の偽りの排水試料を熊大の入鹿山教授に分析させて、サイクレーターが水銀除去効果があるかのように世論を操作した。サイクレーターの設計仕様は、濁度50度以下、色度50度以下、pH8〜9というから水銀の除去機能など最初から要求していなかったのである。実際にチッソはサイクレーターが、水銀除去機能が無いことは百も承知であったので、実際には排水はサイクレーターを通さずに八幡プールに送っていた

 チッソは、早い時期から自社の排水が水俣病の原因であろうと分かっていたはずである。科学的な真実が明らかになるのを最後の最後まで妨害したのがチッソなのである。現在であれば、完全な犯罪行為を数々行っている。

 一方、水俣市漁協が、水俣病公式確認の翌年の昭和32年にチッソに対して排水の海面放流禁止と浄化装置の設置及び無害証明を申し入れているのは驚くべきことである。チッソの排水と水俣湾周辺の現象を毎日、実際に見ている漁民たちには直感的に何が原因か分かっていたのである。科学は頭の中で考えるものではない。先に現実が存在するのである。
 チッソの欲得を第一に考え、不正を働き、世間をだまし、漁民や水俣病患者を弾圧しておきながら、何が「従業員が暴力に遭い」だ。チッソ五井工場でチッソが雇った暴力団に交渉に来た患者や新聞記者たち約20名と共にユージン・スミス氏の脊椎を骨折させ、片目を失明させたことはどのように考えているのか

 チッソは本当に存在する意味のない会社だと思う。50年前の体質が今でも全く変わっていない。この体質は永久に変わらないだろう。会社の風土とはそういうものである。この腐った会社チッソ。

(2012年3月31日 記)

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